■■「喪」のきものの移り変わり 【1】■■ [昔のきもの写真 ●昭和10年代●]
今回は------タイトルからご想像いただけるでしょうが------話題が「喪」ですので、
読みたくない・見たくないというかたは
ここで引き返してくださいね。
手元にある古い写真、
もしいま我が家が火事になったりすると失われてしまうので、
もしかしてこの先どなたかのご参考になるかもしれないと
画像としてネット上に公開することにしました。
(同じく「どうしようかなあ・・・」と思っている写真に、
私が生まれる前に亡くなった祖父の、海軍時代・自衛隊の創設期の写真などもあるの
ですが、どうしたものかなあ・・・と迷い中。こういう写真って、資料として
どこかで集めていらしたりするのかしら・・・?
------どなたか、もしご存知でしたら情報をいただけると助かります。
ちなみに、乗り組んでいたと思われる艦の名前は『球磨』や『おおとり』『ひめゆり』です。
関係者のかたで、お父さまの写真が欲しいというかたがいらっしゃったら、
処分してしまうのは申し訳ない一方で、私が持っていても
お渡しできる機会はないしなあ・・・と迷っております)
さて、ずいぶん脱線してしまいましたが、
本題------きものの話題に戻ります。
ここから進まれるかたは、写真を見てもお気を悪くなさらない、と
ご同意いただいたかた、ということで。
(念のため、もう少しスペースを開けますね)
こちらは、昭和10年代の富山での法事の写真です。
この写真を最初に見た私は
「何かのお祭り?」と思ったのですが、大伯父が
法事の写真だと教えてくれました。
御覧の通り、参加者はほとんどが白装束です。 ↓
![565708738_47[1].jpg](https://hudankimono.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_e69/hudankimono/m_565708738_475B15D.jpg)
喪服というと、「黒一色」というイメージだったのですが、
実は、日本で喪服が「黒一色」になったのはわりと最近のこと なのだそうです。
明治政府の欧米化政策などもあり、明治以降から
戦後にかけて徐々に白から黒に変わったらしいのです。
そして上記の写真の頃(昭和10年代)は、富山の、祖母が暮らしていた
あたりではどうやらまだ黒が浸透しきっておらず、白が基本だったのですね。
実は今でも地方ルールで、白装束や、帯締めと帯揚げだけは白、
という場合が あるようです。
帯締めや帯揚げだけ白、というのは
昔は白装束だった名残なのかも。
ですので、みなさまも「葬」の着付けの際は
それぞれの地方のルールに御留意下さいね。特に、姻族として参加される場合には
実家の方のルールと異なっていて知らずに困ってしまうということもあるでしょうから…。

にほんブログ村
↑ 更新の励みになります。ポチっと1クリックお願いいたします。
読みたくない・見たくないというかたは
ここで引き返してくださいね。
手元にある古い写真、
もしいま我が家が火事になったりすると失われてしまうので、
もしかしてこの先どなたかのご参考になるかもしれないと
画像としてネット上に公開することにしました。
(同じく「どうしようかなあ・・・」と思っている写真に、
私が生まれる前に亡くなった祖父の、海軍時代・自衛隊の創設期の写真などもあるの
ですが、どうしたものかなあ・・・と迷い中。こういう写真って、資料として
どこかで集めていらしたりするのかしら・・・?
------どなたか、もしご存知でしたら情報をいただけると助かります。
ちなみに、乗り組んでいたと思われる艦の名前は『球磨』や『おおとり』『ひめゆり』です。
関係者のかたで、お父さまの写真が欲しいというかたがいらっしゃったら、
処分してしまうのは申し訳ない一方で、私が持っていても
お渡しできる機会はないしなあ・・・と迷っております)
さて、ずいぶん脱線してしまいましたが、
本題------きものの話題に戻ります。
ここから進まれるかたは、写真を見てもお気を悪くなさらない、と
ご同意いただいたかた、ということで。
(念のため、もう少しスペースを開けますね)
こちらは、昭和10年代の富山での法事の写真です。
この写真を最初に見た私は
「何かのお祭り?」と思ったのですが、大伯父が
法事の写真だと教えてくれました。
御覧の通り、参加者はほとんどが白装束です。 ↓
![565708738_47[1].jpg](https://hudankimono.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_e69/hudankimono/m_565708738_475B15D.jpg)
喪服というと、「黒一色」というイメージだったのですが、
実は、日本で喪服が「黒一色」になったのはわりと最近のこと なのだそうです。
明治政府の欧米化政策などもあり、明治以降から
戦後にかけて徐々に白から黒に変わったらしいのです。
そして上記の写真の頃(昭和10年代)は、富山の、祖母が暮らしていた
あたりではどうやらまだ黒が浸透しきっておらず、白が基本だったのですね。
実は今でも地方ルールで、白装束や、帯締めと帯揚げだけは白、
という場合が あるようです。
帯締めや帯揚げだけ白、というのは
昔は白装束だった名残なのかも。
ですので、みなさまも「葬」の着付けの際は
それぞれの地方のルールに御留意下さいね。特に、姻族として参加される場合には
実家の方のルールと異なっていて知らずに困ってしまうということもあるでしょうから…。
にほんブログ村
↑ 更新の励みになります。ポチっと1クリックお願いいたします。
■■昭和14年1月の、大正ロマン的きもの写真■■ [昔のきもの写真 ●昭和10年代●]
この女性は
前回「昔のきもの写真」で日本髪だったのと同じ女性。3歳ほど若い頃です。

当時満年齢で18歳くらいなので、今なら高校生くらいですね。
髪型は、この写真ではどちらかというと洋風ですね。
「大和撫子」という言葉よりも「大正ロマン」とかいう言葉が似合いそうです。
きもののコーデの方も、帯揚げが濃い色で現代と違いそうです。
(カラーでないのが残念。)
ちなみにこの写真、1枚の写真の一部を切り取ったものです。
元の写真はこういう感じ。 ↓

昭和14年1月に撮影されたものです。お正月に撮った記念写真?
この頃の写真っていうのは、まだまだ高価なのかな?
何かの記念写真か、お正月の家族写真というのがアルバムには多いです。
お正月に写真館に行って写真を撮る・・・今ではなかなか無さそうです。

にほんブログ村
↑ 更新の励みになります。ポチっと1クリックお願いいたします。
前回「昔のきもの写真」で日本髪だったのと同じ女性。3歳ほど若い頃です。
当時満年齢で18歳くらいなので、今なら高校生くらいですね。
髪型は、この写真ではどちらかというと洋風ですね。
「大和撫子」という言葉よりも「大正ロマン」とかいう言葉が似合いそうです。
きもののコーデの方も、帯揚げが濃い色で現代と違いそうです。
(カラーでないのが残念。)
ちなみにこの写真、1枚の写真の一部を切り取ったものです。
元の写真はこういう感じ。 ↓
昭和14年1月に撮影されたものです。お正月に撮った記念写真?
この頃の写真っていうのは、まだまだ高価なのかな?
何かの記念写真か、お正月の家族写真というのがアルバムには多いです。
お正月に写真館に行って写真を撮る・・・今ではなかなか無さそうです。
にほんブログ村
↑ 更新の励みになります。ポチっと1クリックお願いいたします。
■■昭和17年1月の、日本髪の女性写真■■ [昔のきもの写真 ●昭和10年代●]
昭和17年ごろの、1月の写真です。

お正月の装いなのでしょうか?若い母親が日本髪です。
こういう髪型は、現代では芸者さんとか、粋筋のかたしか見ないような。
少なくとも、神奈川生まれの神奈川育ちの私にとっては、
素人の若い母親がやっているイメージではありません。
一般庶民もこういう感じというのは、なんだか江戸時代みたい・・・と思ってしまいました。

にほんブログ村
↑ 更新の励みになります。ポチっと1クリックお願いいたします。
お正月の装いなのでしょうか?若い母親が日本髪です。
こういう髪型は、現代では芸者さんとか、粋筋のかたしか見ないような。
少なくとも、神奈川生まれの神奈川育ちの私にとっては、
素人の若い母親がやっているイメージではありません。
一般庶民もこういう感じというのは、なんだか江戸時代みたい・・・と思ってしまいました。
にほんブログ村
↑ 更新の励みになります。ポチっと1クリックお願いいたします。
■■昭和19~20年ごろの母子の写真■■ [昔のきもの写真 ●昭和10年代●]
今回の主役は、昭和20年ごろの若いお母さんのきものの着こなし
------では無くて、二人のコントラスト。
まだ終戦前なのに、そしてお母さんの方は完全にきものなのに、
こどもの方が洋服です。
写真館写真なのでお洒落したのかな?
それにしても、もうこのころから既に子どもの世代では洋服文化で育っているんですね。
その後の敗戦を経て、ますます子ども世代の洋服化が進んで
------そうやって育つと、前回の写真の様な
娘さんとお母さんの姿ということになります。
・・・とすると、娘世代の方では既に洋服化が進んでいて、
東京オリンピック以降に進んだと言われているのは、親世代の方の洋服化かな?
(ちなみに、落ち着いて見えるけど、お母さんの方の年齢は撮影当時20代前半です)
にほんブログ村
↑ 更新の励みになります。ポチっと1クリックお願いいたします。
■■昭和10年ごろの新妻の裄丈■■ [昔のきもの写真 ●昭和10年代●]
こちらの写真も、古いアルバムから見つけてきました。
学生さんとお母さんの写真------ではなくて、新婚夫婦が撮った写真。
「結婚の記念に」と添え書きがありました。男性が海軍の軍人なので
この格好です。海軍の軍服なのでしょうか。
女性の方は、たぶん前回の娘さんのその後の写真だと思われるのですが
雰囲気が変わっているので確信が持てない(笑)。
こちらも写真館で撮ったと思われる写真です。おそらく昭和11年ぐらい。
そしてこの写真も裄がこんな感じです。
この若夫婦は、新郎が従軍中だったので
結婚写真というとこれが唯一のもののようです。
(休暇か何かで帰ってきて撮ったのかな?)
そういう写真として撮ったのだから、
人生の節目の、一生残る大切な写真のはずです。
だからもし「ツンツルテンでおかしい」ということになれば
なんとか誤魔化そうとしたと思われます。
なのに堂々と写っている。ということで、やっぱりこの裄丈、
当時は普通のことだったんでしょうね。
にほんブログ村
↑ 更新の励みになります。ポチっと1クリックお願いいたします。
■■昭和10年ごろの娘さんの裄丈■■ [昔のきもの写真 ●昭和10年代●]
写真は、祖母の古いアルバムから見つけてきました。
写真館で撮ったと思われる写真です。
推定ですが、おそらく昭和10年になるかならないかというあたり。
若い娘一人で、しかも写真館での撮影という状況なので、
お見合い写真か、何かの記念写真かな?
さて、裄にご注目。
かなり手首が出ています。写真館写真なので、これが『イマイチな状況』なら
おそらく、腕を曲げさせたりして目立たなくするはず。
------少なくとも、現代ならそうされます(経験済み)。
ということはこの状態、特に補正すべき状態ではなかったわけで。
・・・状況がこのまま現代にいたっていれば、私もずいぶん楽だったのになあ
と、洋服でも袖がツンツルテンになりがちな私としてはため息をつくばかり。
ちなみに、身長がほぼ同じはずの祖母のきもの、私が着るとやはり
こんな感じになること多し。
裄が長すぎると家事をするときに汚れやすいということで、
普段きものの場合は気にしない、ということにしてますが。
ま、裄の長さにも、ファッションの流行りすたりがあるということで。
「裄は手首のグリグリまで」というのは、きもので家事をしなくなった
ほんの何十年かのことでしょうね。それまでの数百年は、
ごく一部の階層の人たちを除いてそんなことはなかったんだろうなあ。
にほんブログ村
↑ 更新の励みになります。ポチっと1クリックお願いいたします。



